榎本武揚

1836年8月25日生まれ。 17歳の時に堀利煕とともに蝦夷地へ向かい、19歳で長崎海軍伝習所に入学、21歳で築地軍艦操練所の教授に就任。 26歳から30歳までの4年半、オランダに留学。 31歳の時に艦隊を指揮し品川を出発。時代は明治に変わる。32歳になり箱館を占領するも、新政府軍に降伏。五稜郭を明け渡し、東京丸の内辰の口牢に投獄される。 35歳で出獄、放免され、開拓使4等出仕。37歳で海軍中将を拝命、ロシアとの領土問題処理のための特命全権公使としてロシアに向かい、樺太千島交換条約調印のあと、41歳で帰国。42歳で東京地学協会を設立し、副会長に就任。43歳で海軍卿。45歳で皇居造影事務副総裁。その後、駐清特命全権公使として中国に向かう。49歳で帰国し、逓信大臣に就任。50歳で子爵。逓信・農商務大臣を兼任。51歳で電気学会初代会長。52歳で文部大臣。53歳で枢密院顧問官。54歳で徳川育英会育英黌農業科を設立し、管理長に就任。その後、外務大臣となる。55歳で条約改正調査委員会委員長。56歳で殖民協会を発足させ、会長に就任。57歳で農商務大臣。 72歳で死去。